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:2025/12/22 :2025/12/22

 九重町野矢地区には、田畑と山林が緩やかに広がる里山の風景が残る。土と草の匂いがふわりと漂い、旅先というより、どこか懐かしい気持ちにさせられる。現地で活動するNPO法人のや里山舎におじゃまし、季節の移ろいに寄り添うような、里山の暮らしを体験した。

 最初に訪れたのは、築約90年という古民家を改修したゲストハウス。大きなはりや古い建具がそのまま残っており、過去の暮らしが静かに積み重なっているよう。台所では、NPOの日野枝里さんが地元の田んぼで育てた無農薬・無肥料の新米を、かまどで炊く準備をしていた。枝里さんは、薪をくべながら「火力が強いから、ちょっと気を抜くとすぐ焦げちゃうんですよ」と笑う。湯気の立つかまどの音に耳を澄ませ、火とかまどの機嫌を読み取る姿は、昔なら当たり前の景色なんだろう。

 炊き上がりを待つ間、稲刈り体験ができる田んぼへ向かった。枝里さんの夫でNPO法人代表の日野克哉さん、長男の豊禾さんが出迎えてくれた。稲刈りは初めてで、手に取った鎌の重みすら新鮮に感じる。ちょっと緊張していると、克哉さんが「鎌は押すより、引き上げるように動かすほうがスッと切れますよ」と優しく教えてくれた。無農薬で育てた「あさひ」という品種の稲は思っていたより背丈が高い。横では幼稚園児の豊禾さんが軽やかに刈り取っていく。すぐ近くを流れる豊かで、清らかな水の音が、作業のリズムを整えてくれているようだ。

 畑へ移動すると、季節の野菜が少量ずつ植わっていた。この日はゴマと小豆の収穫を手伝った。足元の土の柔らかさが心地よい。ここでは自家採種で、土地の気候に適応した個性ある野菜(固定種野菜)を毎年育てているという。畑の中では日野さん方のニワトリが自由気ままに走り回り、虫をついばむ。そんな日常の光景ひとつひとつが、豊かな土の証しでもある。

 冬になると、豆腐づくりやみそ仕込み、餅つきなど、じっくり楽しめる体験が中心になるという。春ともなればタケノコ掘りや山菜採りが待っている。里山には季節ごとに、その時季にしか味わえない楽しさがある。そんな暮らしのリズムが、体験そのものを形づくってくれる。

 作業に夢中になっていたため、気がつけばかなりの時間が経っていた。急いで古民家に戻ると、かまどの火を見守ってくれていた枝里さんが、おひつに移したばかりのご飯を前に待っていた。「新米は特に甘みが強いから、おにぎりにすると一番分かりやすいんですよ」とおひつを手に教えてくれた。梅干しや塩を添えて握ると、湯気とともに立ち上る香りが食欲を誘う。一口食べると、米の粒感がしっかりしていて、甘さがじんわり広がった。素朴だが、これ以上ないほどのごちそうだ。

 のや里山舎では、別の古民家の改修にも取り組んでいる。野矢の自然に育まれながら生きる人々の営み。ここでの体験は自分の暮らしを見つめ直すきっかけにもなりそうだ。

【メモ】古民家では宿泊できる。電動アシスト自転車のレンタルもしている。阿蘇くじゅう国立公園を軽やかに走れば、里山とは違った広大な景観が楽しめる。固定種野菜を使ったランチもある。いずれも予約が必要。2025年4月には子どもが里山体験できる「森のようちえん おつきさん」を開園した。